と、今回敢えて冒頭で、疑問形でお伝えさせていただきました。
なぜ疑問形なのかというと、時々こういう意見を言う人がいるからです。
「タフさなんていらない。それよりも器用になりたい」
こういう声が出てしまうこともごもっともでしょう。
タフさとは頑丈さ、体力の多さや精神力を示す言葉です。
これが求められるということは、つまりその人がそれだけ負荷が多い役回りをさせられているという事なのですが、これを「損だ」とか「無理だ」という風に捉えてしまいがちな風潮が、そう言わせてしまっているのかなと思います。
ですが、はっきり言いますと、これだけ世相の移り変わりの激しい現代社会において「タフであること」はある意味生きることの必須条件だとも私は考えております。
周りがどれだけグラついててても「それがどうした?」と言えるくらいの強さがあれば、なんだか安心できますよね。
そこで今回は、心のタフさを保つために立ち返っている考え方や習慣についてお話していきたいなと思います。
挫折しそうな時は「差別化のチャンス」だと思え
目の前に困難なことがあって、どうやってもクリアできないから挫折してしまいそうなこと、ありますよね。
未だ解決できない課題も山積みの中ですが、私はこう考えることにしています。
「自分が挫折しそうだと感じたときは、周囲のライバル達も同じとき。
たいていの人が挫折するようなことを乗り越えたら、それだけでグンと差をつけることが出来る。
逆に言うと、そのたいていの人の範疇に留まっている限り自分は本当の意味で価値のある仕事はできないだろう。」
空振りしても振り続けろ
仕事をしていると、やってもやっても報われないことは一杯あります。
これはある意味、野球の打者でいうところの空振りであり、三振です。
報われないのであれば、意味がないのでしょうか?
実はそんな事はありません。
プロ野球選手でも、三球三振を繰り返すことがあります。
ボクサーでも、パンチを何度も外すことがあるんです。
ハッキリ言って打たれるよりも、空振りすることのほうがダメージが強いです。
どちらも旗色が悪くなることはおなじですが「やったことが無意味だった」ことを自覚すればするほど、次の手は重くなっていきます。
すると、どうなるか分かりますか?
そう。相手の思うツボなんです。
自分を悪い方向に持っていこうとする流れや意思に、抗え
こちらの旗色を悪くしていく相手に対しては、少なからず敵意を抱いてしまうものでしょう。もしかしたら嫌いな相手かもしれませんね。
だったら絶対に見返してやるという「なにくそ根性」が必要です。なぜ必要なのか?それは、心のガソリンだからです。
こういう話をすると、よく古い考え方じゃないか?言われます。
ですが実際のところ重要なことは古いか新しいかではなく勝つか負けるかなんです。
誰かと競争するにしても、自分自身と戦うにしても、このガソリンをいかにきちんと燃やせるかが肝となります。
負けて悔しいのにその感情に蓋をして、涼しい顔をして「競い合ったところで、そんなの無意味だよ」というのは、イソップ寓話の「狐と葡萄」に出てくる「すっぱい葡萄」みたいなものです。
自分の能力の低さを正当化や擁護してしまうことはもったいないと思いませんか?
まだせっかく、燻っているのに。
冒頭で挙げた「タフさなんて要らない」というのも、ある意味、タフさも器用さも身についていない人がやる、正当化の一つなんじゃないかなあって時々思うんですよ。
実際タフであることは、立派な恵まれた才能です。
第一に、皆から頼られます。
頼られる。それは、その人に確かな価値があるという何よりの証拠ではないでしょうか?